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コラム:ロシア便り: 2008年1月

007:ロシア発ブランドの誕生

 1991年のソ連崩壊時に多くの国営企業が民営化された。当然、ソ連時代には民間企業は存在せず、全企業が国営であり、国家が設定する計画の下に製造が行われていた。
 新生ロシアの誕生と共に、ロシア企業は市場経済の道を歩み始める。

 市場経済への移行時に、多くの工場が閉鎖され90年代のロシア経済は混乱を極めることになる。今回は、この混乱を克服し、ブランドを確立しつつあるロシア製品を紹介していきたい。

ロシアの乳製品が並ぶ陳列棚
ロシアの乳製品が並ぶ陳列棚

 ロシアで現在、最もブランド力がある製品は、自動車メーカー「アフトワズ(AVAZ)」の“ラーダ”。アフトワズ(AVAZ)製の車はソ連時代の1970年に発売され、当時からソ連を代表する大衆車である。昨年12月にルノーが同社の株式25%を取得した。ルノーはロシア市場での一層のシェア拡大を狙っている。市場の成長に伴い、競争の激化が予想される自動車産業でアフトワズ(AVAZ)は、ルノーとの提携により技術力の向上を目指している。ラーダブランドの年間売り上げは1300億ルーブルを超える。

 ブランド力2位はビールメーカー「バルチカ・ビール(PKBA)」が発売するバルチカシリーズ。ソ連崩壊後すぐの1992年に発売が開始されたバルチカは、国民的ビールの地位を確立している。年間売り上げは500億ルーブル。
 有名ブランド上位10位には、バルチカ以外にも8位のクリーンスコエ、10位のアルセナーリノエというビールが名を連ねている。ロシアのビール市場は、健康志向の高まりを受け成長を続けており、現在世界第3位。アルコール度数の高いウォッカよりも若者の間で人気がある。

様々なフルーツジュース
様々なフルーツジュース

 ブランド力3位は「ウィム・ビル・ダン食品(WBDF)」のドーミクヴジェレーヴニェ。日本語に訳すと“田舎の小さな家”という意味。パッケージにおばあさんと牛の絵が描かれた同商品ブランドは、モスクワ郊外で生産された原材料を使用し、様々な乳製品が販売されている。ヨーグルト、サワークリーム、トゥボーログなどの乳製品はロシア人の食生活で欠かせない食料品だ。

 ブランド力4位は、現在コカコーラ社が製造を担っているジュース“ドーブルィ”。178億ルーブルの年間売り上げをあげており、“ドーブルィ”ブランドジュースをロシア人は1年間に平均20リットル飲むという統計がでている。ドーブルィというのは、ロシア語で「優しい、親切な」という意味。
 ロシアのジュースメーカーは健闘しており、“ドーブルィ”の他にも9位の“フルークトーヴィ サード”、14位の“マヤーセミヤー”など市場で販売される人気のジュースはほぼロシアメーカーで占められている。

 このように1位のラーダを除けば、2位から10位までは全てが食料品ブランド。各国の嗜好が強く反映される食料品市場では、ロシアメーカーが市場シェアを伸ばしている。パッケージデザインなども年々、向上しているように思われる。

マヤーセミヤーシリーズ 低価格が人気。
マヤーセミヤーシリーズ
低価格が人気

 10位以降を見ていくと、11位の“ヤーヴァ”。1966年にソ連初フィルター付タバコ“ヤ-ヴァ”は発売され、40年以上もロシア人に愛され続けている。年間売り上げは140億ルーブル。
 タバコブランドでは37位の“ピョートル1世”も人気だ。おもしろいことに、“ピョートル1世”ブランドは日本のJTに買収され、ロシアでの製造・販売は同社が行っている。ロシアで吸われるタバコの3分の1はJT所有のブランドタバコで占められている。

 ロシア発の電化製品ブランドは32位のSCARLETT、33位VITEKが有名だ。アイロン、ドライヤー、テレビ、DVDプレーヤーなど様々な電化製品が製造されており、低価格の商品はロシア市場でブランド確立に成功した。特にVITEKは2000年の設立以来、僅か7年で急成長している。

 プーチン政権は、多角的な経済成長を目標に、資源の輸出に頼るロシア経済において製造業を伸ばしていきたい考えだ。
 豊富なオイルマネーが設備投資に回っていくのかどうか。今後のロシア製造業の発展に期待していきたい。


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006:モスクワの歴史

 2007年が終わりつつあり、モスクワの町も新年、クリスマスのイルミネーションで彩られている。ロシア正教のクリスマスは1月7日なので、1月1日からの1週間は、ロシア人にとって1年の中でも最も重要なお祭りである。

赤の広場のそばの石畳
赤の広場のそばの石畳
コイン投げ占いをしています

 アメリカのタイム誌が2007年の今年の人にロシアのプーチン大統領を選んだ。今年、最も影響力のあった人物ということらしい。
 2007年は、ロシアにとって、経済も順調に伸び、外交面でも存在感を増した年だった。ソ連崩壊後の90年代にロシアは国際社会で重要な役割を演じることはできなかったが、近年変わりつつあるようだ。

 2007年は、ロシアと欧米諸国は様々な局面で対立したが、価値観の違いが根底にあると思われる。それぞれの国は、その国の歴史、文化の上に社会を築いていくので、他国の歴史を知ることは国際交流の中でも非常に重要な点だと思う。
 今回は、モスクワの歴史を中心にロシアの歴史を少し紹介していきたい。

 モスクワという文字は、1147年の古文書に初めて登場する。今年はモスクワ建設860周年記念にあたる。
 ユーリー・ドルゴルーキーがモスクワ建国の父と呼ばれ、現在モスクワの目抜き通りトヴェルスカヤに銅像が建っている。
 銅像の前にはモスクワ市庁舎の建物がある。1365年の大火によりモスクワの大半が焼失し、それまでの木造建築が石造建築の町に生まれ変わることになる。建築用の石材は、モスクワ近郊のものを使用することになり、輸送は河川が利用された。モスクワの中心部はモスクワ川が流れているがこの交通の便のよさもモスクワ発展の要因の一つだ。

赤の広場からの風景
赤の広場からの風景
右手がグム百貨店、正面は歴史博物館

 クレムリンというのは、ロシア語で要塞という意味でロシアの古い町は、全てクレムリンを中心に発展している。モスクワのクレムリンは14世紀に建築が始まり各ツァーリの命令により増強されていくことになる。
 クレムリンに面して「赤の広場」が広がっているが、この名称は17世紀に生まれる。14世紀には赤の広場は「商売の広場」と呼ばれ、16世紀に「トロイツキー広場」となる。その後、赤の広場と呼ばれるようになるが、「赤い」というのは古いロシア語で「美しい」という意味で使われていた。

聖ワシーリー寺院
赤の広場からの反対側の風景
正面が聖ワシーリー寺院

 赤の広場の東側に位置する「聖ワシーリー寺院」は、日本人がロシアをイメージする時に真っ先に浮かぶ建築物ではないだろうか。
 聖ワシーリーという名前は15世紀に実在したロシアの聖人に因んで命名された。当時のツァーリはイヴァン4世で、1552年にイヴァン4世がタタール人の町カザンを攻略したことを記念して寺院の建設が決まる。ロシアはその後、多民族、多宗教国家の道を歩み始める。現在でもカザンはタタルスタン共和国の首都で、ロシア連邦の一部を構成している。聖ワシーリー寺院は高さ60メートルで16世紀のロシアで最も高い建築物だった。

 聖ワシーリー寺院の前にミーニンとポジャルスキーの銅像が建っている。1818年に作られ“市民ミーニンとポジャルスキー公にロシアは感謝する“という文字が刻まれている。ポジャルスキー公が左手を楯に、右手に剣を持ち座り、ミーニンが説得している場面である。17世紀初頭、モスクワはポーランド軍に町を占拠されることになるが、二人が組織した国民軍によりモスクワは開放される。これを記念した銅像である。

 クレムリンを中心として、モスクワの町は放射線状に発展していったのだが特に町の中心部には歴史を感じることができる通りがたくさんある。キタイゴーロドと呼ばれる地区があるが、ここはモスクワで最も古い商業地区である。「キタイ」というのはロシア語で中国という意味で「ゴーロド」は町。しかし、このキタイは語源的に“キタ”から来ており、“キタ”とは丸太を縛った状態を意味する。現在は政府関係の建物が立ち並ぶ地区だ。

赤の広場からの風景
ロシアの伝統的飲み物メドヴーハの販売
味は甘いビールといった感じです

 もう一つ、モスクワ中心部でユニークな地区はアルバート通りだろう。アルバート通りは19世紀に貴族が住宅を建設し、その後多くの商人が住むようになった。20世紀になると、芸術家、音楽家が住む地区となり、現在はみやげ物屋が多く立ち並び観光客が訪れる通りでもある。

 18世紀初頭から300年間、首都がサンクトペテルブルグに遷都されたが、歴史的にモスクワのほうが古く、よりロシア的な街だと認識されている。ロシアの歴史を知るために、モスクワの街を徒歩で歩いてみるのも興味深いことだと思う。


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