コラム:ロシア便り: 2009年9月
028:地方都市カザンに見るロシアの一側面
前回は、ペテルブルグから国境を越えて西に行く話をしたので、今回はその逆、モスクワから東に行くと、どのような世界が広がっているかという話をしたい。もちろん、モスクワの東は、太平洋まで果てしなく広がっているが、今回はヴォルガ沿いの街、カザンを取りあげる。ただしカザンがヴォルガに接するようになったのは、ソ連時代のダム建設の影響で川の流れが変わったためであり、半世紀ほど前までは直接接していたわけではない。
カザンは日本ではあまり知られていない都市かもしれないが、人口110万を数えるロシア有数のかなり大きな都市であり、タタルスタン共和国の首都でもある(ご存知かと思うが、ロシアは連邦国家であり、複数の共和国から成りたっている)。2005年に建都1000年を祝ったぐらいであるから、ロシアの中では指折りの歴史ある街でもある。モスクワからだと飛行機で1時間ほどで着くが、鉄道だと一晩かかる。
カザンはもともと、ロシア人の街ではなく、チュルク系の民族によって建設された。11世紀の時点では、ロシアの勢力はまだこの地まで及んでいない。カザンがロシアの都市となるのは、1552年にイワン雷帝がカザン・ハン国を攻めほろぼして以降のことである。イワン雷帝によるカザン・ハン国の併合は、シベリア進出への足がかりを築き、国内にイスラムという要素を抱えこむきっかけとなった点で、ロシア史に画期をなしている。
イスラム教を信仰しているのは主にタタール人、正教を信仰しているのは主にロシア人であるが、中にはタタール系ながら正教を信仰している、クリャシェンと呼ばれる人々もいる(クリャシェンは独自の民族である主張する人たちもいる)。街も、ロシア人地区とタタール人地区に大きく分けられているが、両者の住むところが厳密に分かれているわけではなく、むしろモスクの集中する地区と教会の集中する地区という意味だそうだ。また、街の中心部には、カトリックの教会や古儀式派(正教会の分派。旧教徒とも呼ばれる)の教会が建っており、宗教的な多様性をうかがわせる。
街の案内も、ロシア語とタタール語が併記されていることが多く、たとえば鉄道でカザンに着くと、駅には「КАЗАНЬ」と「КАЗАН」という、2つの表記がある(前者がロシア語)。この程度ならば筆者にも類推可能だが、タタール語には「e」をひっくり返したような文字など、筆者にはとても読めない文字がいくつもある。書店でタタール語の本を見つけたので、試しに中を開いてみたが、全く読めなかった。発音も全く違うので、耳で聞いても分からない。
やはり建都1000年祭に合わせて、2005年には地下鉄が開通した。まだ6駅しかないが、今後の延伸により、市民の足となることが期待される。プラットホームはいささか暗いが、綺麗な絵が壁に描かれている。そのほかにも街の中には、バスケットボールのドームやサッカー場、大きな球状のテレビ画面など、結構立派な施設が目につく。芸術面では、タタルスタン共和国造形国立美術館のコレクションが、割とセンスが良く、レーピンやカンディンスキーの絵もある。また、残念ながら筆者は足を運ぶ時間がなかったが、市場には中央アジアなどから運ばれてきた物産が豊かに並んでいるそうだ。
ただし昨年の世界的な金融危機は、この街の経済にも大きな打撃を与えたらしい。街のメインストリートはバウマン通りと呼ばれる通りであり、確かに通りの中心部は華やいだ感じで、高層ビルも立っている。しかし端のほう(クレムリンの近く)まで進んでいくと、真新しいのにガランとしたビルや、改修すれば歴史的趣のある建物として使えそうな立派な建物が、ほとんど廃墟と化して放置されており、いささか寂しい印象を受ける(右の写真)。
物価は総じて安く、たとえば地下鉄の運賃は12ルーブルである。モスクワの地下鉄の運賃が22ルーブルであることを考えると、その差は歴然としている。ただしその分、賃金も安い。こうした首都と地方都市の格差は、日本と似ている。
日本人はあまり滞在しておらず、カザンに滞在中の知人は、1年で5人しか日本人に会わなかったそうだ。この街にいる日本人は、毎年そんなものらしい。ロシアに滞在する日本人は、モスクワが圧倒的に多く、それにペテルブルグや極東の諸都市が次ぐ程度だろう。もちろんモスクワは大都市であり、ロシアとの関係を築くのにモスクワを活動の拠点にせざるをえないのであるが、ロシアの多様性を理解するためには、もう少しほかの都市にも目を向ける必要があるだろう。カザンという地方都市に足を運び、そんな思いを抱いた。
2009_09_30 O